与一の「厳しさ」とは
勉強に対する“姿勢”において「どこよりも厳しく」
やる気のある子には最高だけど
やる気のない子には合わない。
与一はそんな塾でありたいと思います。
与一の求める「7つの厳しさ」
「わからない」を与え、それを理解させられる力こそ、正しい塾に求められる「厳しさ」です。
「わかりやすい」ものを教えることに関わったことのある人ならば、誰でもこの言葉を欲しがるのは当然です。自分の指導の正しさが証明され、相手の満足も確かめられる訳ですから。
でも相手がわかることだけを伝えるのが本当の指導ですか?その人は今後自力で問題を解決できるようになるでしょうか?私たちはそうではないと思います。
中学生・高校生問わず与一の授業は正しい知識を教えます。その中にはもしかしたら伝えることによって混乱を招き、その結果「わかりにくい」と思わせるものもあるかもしれません。それでも私達は10を知って10を解くのではなく、100を知って10を解いて欲しいと思い、学校でも他の塾でも参考書でも教えてくれない正しい知識を正しく伝えます。
多くの情報の中から必要な知識を選び出し、自分で正解を導き出す力が付くことを信じ、そのために安易ではない道を用意してあげることが、塾に求められる正しい「厳しさ」であると信じています。
定期テストですら頑張れない子が受験で上手くいくはずもありません。
国公立大学を目指す、またそのために高校では進学校へ入学する。そうした気持ちをもっているのであれば、学校の中間・期末テストで一定以上の成績を取ることは当たり前だと思います。もし望んだ通りの成績が取れないことがあるとすれば、基本的な学力、または定期テストに対する勉強の姿勢、このどちらかに大きな問題を抱えていることは間違いありません。
いずれも自分の努力で克服できる筈なのに、それができていない子がより多くを要求されるその後の受験で成功することは不可能でしょう。
与一ではその最低限の学力と姿勢を身に付けるため、定期テストでの成績に基準を設け、その基準に2回連続で満たなかった生徒には退塾をしてもらう制度を導入しました。
「やる気を出させてあげる」そんなものは本当の優しさだとは思いません。達成すべき課題を与え、それを成し遂げられない子には正しく「厳しさ」を与える。これこそが真の優しさではないでしょうか。
自分を一番厳しい目で見る人が自分であってほしいと思います。
「またミスをした。」断言しますが、こうした言葉をよく使う人は、いつまで経っても成績は向上しません。計算「ミス」つづり「ミス」問題の読み間違い…これらを「ミス」と呼ぶのは、きっと「本当ならできたけど、ミスしたから仕方ない」と自分を正当化したいからなのでしょう。
それは大きな間違いです。「ミス」というのは突きつめれば問題をいい加減に読む・適当に考える・雑に答える、こうした「丁寧に考えること」をしていない結果であり、仕方ないものなどでは決してありません。
与一では極力「ミス」という言葉を使うのを避け、授業中に犯した避けられた筈の間違いを、毎回自分で振り返るようにさせています。
また「ミス」に対する意識を高めるため、授業中のチェックテストや単語テストにおいては、「○○点合格」ではなく、「満点合格」を基本としています。
ごまかさず自分の間違いに向き合う「厳しさ」をあなたも身に付けてみませんか?
「わからないことをすぐに教えてくれる」これも優しさだとは思いません。
「わからないところをすぐに教えてくれて良かった」塾の満足度を伝えるために生徒のコメントとして良く紹介される言葉です。でも「すぐに教えてくれる」って本当に良いことばかりでしょうか。
わからない問題に出くわした時、それは今まさに自分が超えるべき壁と出会えた“チャンス”なのです。それを十分に考えもせず、すぐに教えてもらうなんてあまりに勿体ない、そう私達は考えます。
わからないことはすぐに質問して次々に進んだ方が効率が良い、そういう考え方もあるでしょう。でもそうして簡単に超えてしまった問題は、記憶にあまり残らないのもまた事実です。
与一では説明をすればほんの一瞬で解ける問題でも、ヒントのみを与え、また時にはただ×だけを付けてヒントすら与えず自分で考えさせる指導を行っています。一つの問題に5分も10分も考えさせることなんて珍しくもありません。
こうした「厳しさ」によって養われた自分で答えに辿り着く能力が、これからの受験には欠かせない武器となるでしょう。
「うちの子競争は好きじゃない」でも受験なんてまさに競争ですよ?
「人と較べられるのが嫌だから、同級生の少ない塾がいい。」こうしたことを言われる保護者の方もいらっしゃいます。個人情報の保護が重要視される現代では、生徒間でお互いの成績がわかるように発表するなんていかにも前時代的で時代錯誤に思われることでしょう。
でも考えてみてください。今から皆が挑もうとしている高校・大学入試なんてまさに「競争」の極みです。大事に守られ、人と比べられることの減った現代の子は、いざ必要に駆られ人と競争するとなったとき、思いも寄らぬような弱さを見せてしまうことは珍しくありません。人との競争の結果生まれた「成績」という結果に正面から向き合い、そこから正しく反省して次につなげる姿勢が受験には間違いなく必要です。
与一ではクラスの入れ替えや小テストなど、人に自分の現在の力が知られてしまう機会は決して少なくはありません。みんなに嫌がられようとも、それが必要な「厳しさ」だと確信をしています。
泣いてしまう生徒もいます。本気だからこそ厳しい進路指導。
「このままなら大丈夫」「今から頑張ればなんとかなる」こうした言葉を聞けばきっとみんな安心するでしょう。でも後に厳しい現実を突きつけられるのは他ならぬあなた自身です。だから私たちはこう言います。「無理だ」「間に合わない」「どうして今までしなかったんだ」と。
人はどうしても楽な方に流れてしまいがちなものです。安心感を与えすぎれば気付いた時には手遅れとなってしまうかもしれません。私達は涙を流したくなるほど厳しい言葉によって現実を認識させ、その悔しさや危機感を定期的に与えることによって、気を緩めずに緊張感を持続させます。
勿論ただ責めるだけなんてことはありません。面談やその他の機会を利用して、今必要なものは何なのか、改善にはどんな勉強をすべきなのか、ということを一緒に考え、志望校合格までの長く険しい道のりを一緒に進んでいきます。
人に厳しくするからには、自分にも厳しくするのが当然です。
与一には各教科の専任講師しかいません。裏を返せば他の講師と比較されることも、他の講師から授業を評価されることもほとんどないということです。そんな中で最大限「良い講師」であるためには、自分で自分に厳しくする以外ありません。
常に最良の説明を追い求め研究を続け、より多くの知識を持つために勉強を続け、少しでも効率の良い授業をするために教材を作り続ける。こうしたことを当たり前にできなければ、生徒に厳しくする資格などありません。正しいと確信した教材や授業の構成が、次の年には全く違うものとなっていることはもはや日常です。
芯がなくぶれている、そう思いますか?誰に前の年の授業と比較される訳でもありません。常に最高の授業をするために自分自身に対して厳しい目を向ける。そうした信念の表れであると私たちは胸を張って言います。